(754字。目安の読了時間:2分) あの一団は歩み去ったのです。しかし、廃墟はあいもかわらず立っていました。これからもなお数百年のあいだ、このままに立ちつづけることでしょう。そしてこの瞬間の喝采のことも、美しい歌姫のことも、その歌声やほほえみのことも、だれひとり知る者もなく、忘れられ、過ぎ去ってしまうのです。わたし自身にとっても、この一時はすでに消え去った思い出なのです」 [#改ページ] 第十...
(765字。目安の読了時間:2分) 広い階段の前に高い祭壇があって、円柱のあいだに生えているしだれヤナギはいきいきとしていました。空気はすきとおって碧色をしていました。背景にはベスビオの山が黒々とそびえていて、そこから噴きでる火は笠松の幹のように立ちのぼっていました。煙の雲が夜の静けさの中に照らしだされて、笠松のこずえのように、血のように赤くひろがっていました。 この一団の中にひとりの歌姫が...
(762字。目安の読了時間:2分) 』それからランプを消しました。楽しい部屋の中はまっくらになりました。しかしわたしの光は、花婿の眼が輝いていたように、輝いていました。――女性よ、詩人が生命の神秘をうたうときには、その竪琴にキスをなさい!」 [#改ページ] 第十二夜 「わたしはポンペーの一つの光景をきみに話してあげましょう」と、月が言いました。 「わたしは『墓場通り』といわれている郊外にいまし...
(768字。目安の読了時間:2分) もの静かな老嬢は、生きているときは、年がら年じゅう家の中の同じ場所だけをゆっくりと動きまわっていましたのに、死んだいまとなって、このひろびろとした国道を真一文字に走って行くのでした。 わらのむしろで包んであった棺が跳ね上がって、道の上に落っこちました。ところが、馬と御者と車とは、そんなことにはかまわずに、荒れ狂ったように駆け去ってしまいました。ヒバリが歌い...
(826字。目安の読了時間:2分) けれども、その友だちも死んでしまいましたので、去年はそれさえもしませんでした。わたしの老嬢はいつもひとりぽっちで、窓の中がわで立ち働いていました。そこには夏じゅう美しい花が咲き、冬には毛織帽子の上にきれいなタガラシがさしてありました。ところが先月は、この人はもう窓ぎわにすわっていませんでした。でも、まだ生きてはいたのです。わたしには、それがよくわかっているの...
(752字。目安の読了時間:2分) ですから、その男の妻は、後になって死人のからだにさわらないでもいいように、夫のからだのまわりに皮の衣をしっかりと縫いつけて、たずねました。 『あんたは、あの岩の上の固い雪の中に埋めてもらいたいの? それならわたしは、そこをあんたのカヤックとあんたの矢で飾ってあげるよ。アンゲコックがその上を踊ってくれるだろうよ。それとも、海の中へ沈めてもらいたい?』 『海の中...
(792字。目安の読了時間:2分) この地方に住んでいる人たちが踊りと娯楽のために集まっていましたが、この美しさを見ても、ふだん見なれているために、だれひとり驚く者はありませんでした。この人たちは、『死人の魂は、海象の頭といっしょに踊らせておけばいい』という、この人たちなりの信仰に従って考えていたのです。心も、眼も、歌と踊りにばかり向けられていました。輪になったまん中に、手太鼓を持ったひとり...
(824字。目安の読了時間:2分) ロメオが露台の上によじのぼって、まことの愛の接吻が天使の思いのように天へとのぼって行ったとき、まるい月は黒い糸杉のあいだに半ばかくれて、澄みきった空に浮んでいたこともあるのです。 また、セント・ヘレナの島に幽閉された英雄が、荒寥たる岩頭に立って、胸に雄志を抱きながら大海原をながめやっている姿を見たこともあるのです。 そうです、月にとって話せないようなことが...
(768字。目安の読了時間:2分) 美しい青白い顔を森のほうへ向けて、そこからひびいてくる物音に耳をかたむけました。海のかなたの大空を見上げたとき、女の子の眼はきらきらと輝きました。両手が合されました。『主の祈り』をとなえたように思われます。この子は自分でも、自分自身の中を流れている感情がわかりませんでした。しかし、わたしは知っています。長い年月がたつうちには、この瞬間とまわりの自然とが、画家...
(749字。目安の読了時間:2分) あたりの花は、たいへん強くにおいました。そよ風は静かにまどろみました。海はまるで、深い谷の上にひろがっている空の一部になったかのようでした。 また一台の馬車が通りすぎました。中には六人の客が乗っていました。そのうち四人は眠っていました。五人目の男は、自分によく似合うはずの、新しい夏服のことを考えていました。六人目の男は、御者のほうへからだを乗りだして、あそ...