(503字。目安の読了時間:2分) それからも、花江さんは相変らず、一週間か十日目くらいに、お金を持って来て貯金して、もういまでは何千円かの額になっていますが、私には少しも興味がありません。 花江さんの言ったように、それはおかみさんのお金なのか、または、やっぱり花江さんのお金なのか、どっちにしたって、それは全く私には関係の無い事ですもの。 そうして、いったいこれは、どちらが失恋したとい...
(527字。目安の読了時間:2分) あたし、あなたに、誤解されてやしないかと思って、あなたに一こと言いたくって、それできょうね、思い切って」 その時、実際ちかくの小屋から、トカトントンという釘打つ音が聞えたのです。 この時の音は、私の幻聴ではなかったのです。 海岸の佐々木さんの納屋で、事実、音高く釘を打ちはじめたのです。 トカトントン、トントントカトン、とさかんに打ちます。 私は、...
(489字。目安の読了時間:1分) 「そう思うのが当然ね」と言って花江さんは、うつむき、はだかの脚に砂を掬(すく)って振りかけながら、「あれはね、あたしのお金じゃないのよ。あたしのお金だったら、貯金なんかしやしないわ。いちいち貯金なんて、めんどうくさい」 成る程と思い、私は黙ってうなずきました。 「そうでしょう? あの通帳はね、おかみさんのものなのよ。でも、それは絶対に秘密よ。あなた、誰...
(464字。目安の読了時間:1分) 花江さんがさきに、それから五、六歩はなれて私が、ゆっくり海のほうへ歩いて行きました。 そうして、それくらい離れて歩いているのに、二人の歩調が、いつのまにか、ぴったり合ってしまって、困りました。 曇天で、風が少しあって、海岸には砂ほこりが立っていました。 「ここが、いいわ」 岸にあがっている大きい漁船と漁船のあいだに花江さんは、はいって行って、そう...
(439字。目安の読了時間:1分) 私は時計を見ました。 二時すこし過ぎでした。 それから五時まで、だらしない話ですが、私は何をしていたか、いまどうしても思い出す事が出来ないのです。 きっと、何やら深刻な顔をして、うろうろして、突然となりの女の局員に、きょうはいいお天気だ、なんて曇っている日なのに、大声で言って、相手がおどろくと、ぎょろりと睨(にら)んでやって、立ち上って便所へ行ったり...
(478字。目安の読了時間:1分) あの、れいの鏡花の小説に出て来る有名な、せりふ、「死んでも、ひとのおもちゃになるな!」と、キザもキザ、それに私のような野暮な田舎者には、とても言い出し得ない台詞ですが、でも私は大まじめに、その一言を言ってやりたくて仕方が無かったんです。 死んでも、ひとのおもちゃになるな、物質がなんだ、金銭がなんだ、と。 思えば思われるという事は、やっぱり有るものでしょ...
(483字。目安の読了時間:1分) まさか、いい旦那がついたから、とも思いませんが、私は花江さんの通帳に弐百円とか参百円とかのハンコを押すたんびに、なんだか胸がどきどきして顔があからむのです。 そうして次第に私は苦しくなりました。 花江さんは決して凄腕なんかじゃないんだけれども、しかし、この部落の人たちはみんな花江さんをねらって、お金なんかをやって、そうして、花江さんをダメにしてしまうの...
(495字。目安の読了時間:1分) 以前は、宮城県にいたようで、貯金帳の住所欄には、以前のその宮城県の住所も書かれていて、そうして赤線で消されて、その傍にここの新しい住所が書き込まれています。 女の局員たちの噂(うわさ)では、なんでも、宮城県のほうで戦災に遭って、無条件降伏直前に、この部落へひょっこりやって来た女で、あの旅館のおかみさんの遠い血筋のものだとか、そうして身持ちがよろしくないよう...
(491字。目安の読了時間:1分) でも私は、その女のひとを好きで好きで仕方が無いんです。 そのひとは、この海岸の部落にたった一軒しかない小さい旅館の、女中さんなのです。 まだ、はたち前のようです。 伯父の局長は酒飲みですから、何か部落の宴会が、その旅館の奥座敷でひらかれたりするたびごとに、きっと欠かさず出かけますので、伯父とその女中さんとはお互い心易い様子で、女中さんが貯金だの保険だの...
(469字。目安の読了時間:1分) 俺やお前のように、頭の悪い男は、むずかしい事を考えないようにするのがいいのだ」と言って笑い、私も苦笑しました。 この伯父は専門学校を出た筈(はず)の男ですが、さっぱりどこにもインテリらしい面影が無いんです。 そうしてそれから、(私の文章には、ずいぶん、そうしてそれからが多いでしょう? これもやはり頭の悪い男の文章の特色でしょうかしら。自分でも大いに気...