(656字。目安の読了時間:2分) そろえた膝と小さな足――こまかいことを考えることに秀でた頭には、煙った髪がさらさらと肩まで垂れている。 ――眠元朗は棹を休めて娘と対い合って坐った。 そして娘の顔をしずかに眺めた。 「お前はお父さまが好きか、又お母さまが好きか、もう一度それを言って見てくれないか。」 娘はそういう父の顔の、ずっと奥の方にある真摯さに刺戟されたが、やはり子供らしく可笑...
(648字。目安の読了時間:2分) ――それに晴れると白魚がたくさん群れて岸へあつまってくるのも不思議だ。」 眠元朗は纜をといてから、舟を渚から少しずつ辷(すべ)り出させた。 引き波の隙間をねらって、舟はふうわりと白い鴨のように水の上を辷った。 眠元朗は水馴棹を把った。 たらたらする油ながしの雫(しずく)は棹の裏を縫うて、静かな湖面に波紋をつくった。 「お母さまが入らっしゃらないの...
(605字。目安の読了時間:2分) これは何となく人間の老境にかんじられるものを童話でも小説でも散文でもない姿であらわそうとしたものである。 ―― 一 舟のへさきに白い小鳥が一羽、静かに翼を憩めて止っている。 ――その影は冴えた百合花のように水の上にあるが、小波もない湖の底まで明るい透きとおった影の尾を曳いている。 ときどき扇のような片羽を開いて嘴(くちばし)で羽虫でも※(あさ)る...
(705字。目安の読了時間:2分) 第十五夜のリューネブルク、第二十五夜のフランクフルトには一八三三、四年に訪れている。 一八三三年から三四年にかけてのイタリア旅行の印象は第十二夜、第十八夜、第二十夜などにあらわれている。 なかでも、暗い北欧生れのアンデルセンがあこがれてやまなかった明るい南の国イタリアは、この本においても最も多く描かれているのである。 また一方においては空想の翼に乗って、遠...
(745字。目安の読了時間:2分) 童話についても同様、『即興詩人』が出版されてから二、三カ月後にはじめて第一集が出、それから一八七五年八月四日に永眠するまでに百五、六十にも及ぶ多数の童話が書かれたのである。 『絵のない絵本』は、一八三九年から四〇年ごろを中心にアンデルセンの創作意欲の最も盛んなときに書かれたものである。 初めて本になったのは一八三九年十二月二十日で、(表紙の日付は一八四〇年と...
(820字。目安の読了時間:2分) しかし、十一歳のときに父を失うに及んで、この幸福の夢もはかなく消え去ってしまった。 母は仕立屋の職人にしたいという希望を持っていたが、アンデルセンみずからは舞台に立つことを望んで、十四歳のときただひとり首都のコペンハーゲンをめざして旅立った。 このときから彼にとって新しい世界が開かれるとともに、茨の道がはじまったのである。 すなわち都に出るには出たものの、何...
(712字。目安の読了時間:2分) 『あたし、お祈りしたのよ。パンにバターもたくさんつけてくださいまし、ってね!』」 [#改ページ] 解説 矢崎源九郎 アンデルセンといえば、おそらくその名を知らない者はないといってもよいであろう。 ことに童話詩人としての彼の名前は、われわれにとってはなつかしい響きを持っているのである。 しかし彼は単に童話を書いたばかりではない。 小説に戯曲に詩に旅行記に、じ...
(745字。目安の読了時間:2分) そのため母親は、毎晩その子の寝床のそばにすわって、その子が『主の祈り』をとなえるのを聞いてやるのでした。そのあとで、その子はキスをしてもらうのです。そして母親はその子が眠りつくまで、そばにいてやります。でも小さい眼は閉じたかとおもうと、すぐに眠ってしまいます。 今夜は、上のふたりの子がすこしあばれていました。ひとりは長い白い寝巻を着て、片足でピョンピョン跳...
(810字。目安の読了時間:2分) ―― しかし、ただきれぎれの音譜しか、わたしの光は照らすことができませんでした。その大部分は、わたしにとってはいつまでも暗闇の中に残されることでしょう。あの男の書いたのは死の讃歌だったのでしょうか? 喜びの歓声だったのでしょうか? あの男は死のもとへ行ったのでしょうか、それとも、愛人に抱かれるために行ったのでしょうか? 月の光は人間が書くものをさえ、ことご...
(731字。目安の読了時間:2分) 『ぼくたち、兵隊ごっこちているだけよ!』 そこへ熊使いがやってきました」 [#改ページ] 第三十二夜 寒い風がぴゅうぴゅう吹いていました。 雲が飛び去って行きました。 月はただときおり見えるだけでした。 「静かな大空をとおして、わたしは飛び行く雲を見おろしています」と、月は言いました。 「大きな影が地上を走って行くのが見えます。 このあいだ、わたしは牢...