(552字。目安の読了時間:2分) 気の小さな私はすっかりしょげて、其処から引き返した。 ――私はあとでもって、一人でこっそりと、その井戸端に行ってみた。 そしてそこの隅っこに、私の海水着が丸められたまま、打棄てられてあるのを見た。 私ははっと思った。 いつもなら私の海水着をそこへ置いておくと、兄たちのと一緒に、お前がゆすいで乾して置いてくれるのだ。 そのことでお前はさっきお前の母に...
(574字。目安の読了時間:2分) 「こいつを一服したら……」 「まあ!」お前は私と目と目を合わせて、ちらりと笑った。 その瞬間、私たちにはなんだか離れの方が急にひっそりしたような気がした。 せっかくボンボンやら何やらを持って来てやったのに、自分にはろくすっぽ口もきいてくれない息子の方を、その母は俥(くるま)の上から、何度もふりかえりながら、帰って行った。 それがやっぱり彼女の本当の...
(566字。目安の読了時間:2分) …… 「どうして僕のお母さんを知っていたの?」「だってあなたのお母様は運動会のとき何時もいらっしってたじゃないの? そうして私のお母様といつも並んで見ていらしったわ」私はそんなことはまるっきり知らなかった。 何故なら、そんな小学生の時分から、私はみんなの前では、私の母から話しかけられるのさえ、ひどく羞かしがっていたから。 そうして私は私の母から隠れるよ...
(577字。目安の読了時間:2分) そうしてそれが、砂の中から浮んでいる私の顔を、とても変梃にさせていそうだった。 私はいっそのこと、そんな顔も砂の中に埋めてしまいたかった! 何故なら、私は田舎から、私の母へ宛てて、わざと悲しそうな手紙ばかり送っていた。 その方が彼女には気に入るだろうと思って……。 彼女から遠くに離れているばかりに、私がそんなにも悲しそうにしているのを見て、私の母は感動...
(563字。目安の読了時間:2分) それから私は郵便局で、私の母へ宛てて電報を打った。 「ボンボンオクレ」 そうして私は汗だくになって、決勝点に近づくときの選手の真似をして、死にものぐるいの恰好で、ペダルを踏みながら、村に帰ってきた。 それから二三日が過ぎた。 或る日のこと、海岸で、私たちは寝そべりながら、順番に、お互を砂の中に埋めっこしていた。 私の番だった。 私は全身を生埋...
(569字。目安の読了時間:2分) むしろ、そんな薄情な奴になるより、嘘つきになった方がましだ。 私は頬をふくらませて、何も云わずに、汗を拭いていた。 どうも、さっきから、あの夾竹桃の薄紅い花が目ざわりでいけない。 この二三日、お前は、鼠色の、だぶだぶな海水着をきている。 お前はそれを着るのをいやがっていた。 いままでのお前の海水着には、どうしたのか、胸のところに大きな心臓型の孔...
(633字。目安の読了時間:2分) ……ちょっと、やってみない」 「だってラケットはなし、一体何処でするのさ」 「小学校へ行けば、みんな貸してくれるわ」 それがお前と二人きりで遊ぶには、もってこいの機会に見えたので、私はそれを逃がすまいとして、すぐ分るような嘘(うそ)をついた。 私はまだ一度もラケットを手にしたことなんか無かったのだ。 しかし少女の相手ぐらいなら、そんなものはすぐ出...
(580字。目安の読了時間:2分) まだあんまり開けていない、そのT村には、避暑客らしいものは、私たちの他には、一組もない位だった。 私たちはその小さな村の人気者だった。 海岸などにいると、いつも私たちの周りには人だかりがした程に。 そうして村の善良な人々は、私のことを、お前の兄だと間違えていた。 それが私をますます有頂天にさせた。 そればかりでなしに、私の母みたいな、子供のうる...
(602字。目安の読了時間:2分) 「今日はまだ一ぺんもしてあげなかったのね……」そう云って、お前はその小さな弟を引きよせて、私たちのいる前で、平気で彼と接吻をする。 私はいつまでも投球のモオションを続けながら、それを横目で見ている。 その牧場のむこうは麦畑だった。 その麦畑と麦畑の間を、小さな川が流れていた。 よくそこへ釣りをしに行った。 お前は私たちの後から、黐竿(もちざお)...
(593字。目安の読了時間:2分) 沖の方で泳いでいると、水があんまり綺麗なので、私たちの泳いでいる影が、魚のかげと一しょに、水底に映った。 そのおかげで、空にそれとよく似た雲がうかんでいる時は、それもまた、私たちの空にうつる影ではないかとさえ思えてくる。 …… 私たちの田舎ずまいは、一銭銅貨の表と裏とのように、いろんな家畜小屋と脊中合わせだった。 ときどき家畜らが交尾をした。 ...