(773字。目安の読了時間:2分) あの故郷の、沼地のそばに生えている、ヤナギの木のあいだから、わたしを見おろしたときと、すこしもかわらない月だったのです。 わたしは、自分の手にキスをして、月にむかって投げてやりました。 すると、月はまっすぐわたしの部屋の中にさしこんできて、これから外に出かけるときには、まい晩、ちょっとわたしのところをのぞきこもうと、約束してくれました。 そのときからというも...
(745字。目安の読了時間:2分) 絵のない絵本 ふしぎなことです! わたしは、なにかに深く心を動かされているときには、まるで両手と舌とが、わたしのからだにしばりつけられているような気持になるのです。 そしてそういうときには、心の中にいきいきと感じていることでも、それをそのまま絵にかくこともできなければ、言い表わすこともできないのです。 しかし、それでもわたしは絵かきです。 わたしの眼が、わ...
(428字。目安の読了時間:1分) 月の光が窓の上部をとほして射しこんだ、 そして古風な部屋の一部分を照した。 樂音は、遠退のくに從つてだんだんに柔かく、空に漂ふやうに聞きなされ、あたりの靜寂と月の光とに調和するやうに思はれた。 わたしは、いつまでもいつまでも耳を凝して聞き入つた――樂音は次第にかすかに、遠くなつて行つた。 そしてその音がいつとなく消え去るとともに、わたしの頭は深く枕に沈み、...
(338字。目安の読了時間:1分) 室をとりまく鏡板にはぎつしりと彫刻が施され、花模樣と異形の顏が不思議な組合せになつてゐた。 そして一列に並んだ黒ずんだ肖像畫が悲し氣に壁の上からわたしをぢつと見詰めてゐた。 寢臺はどつしりしたダマスク織で、色は褪せてゐたけれど高い帳が附いて居り、張出窓と向ひ合つた壁の窪みに据ゑてあつた。 床に入るか入らぬかに、音樂の調が突然空に、窓のすぐ下の方で起つたや...
(367字。目安の読了時間:1分) 實際、彼女はいかにも無關心で、室咲きの美しい花束をむしつて興を遣り、歌が終つた時には花束は見る影もなく床の上に散らばつてゐた。 一座の者たちはいよいよ別れるとなると、昔の習はし通りに、眞情のこもつた握手を交した。 廣間を通つて、わたしに與へられた室に行く途中、燃えさしのユール・クロッグはなほ消えやらず、物佗しい光を放つてゐた。 若しこれが「亡者も畏れて...
(325字。目安の読了時間:1分) ジューリアの君よ、きみ想ふ、 わが許へ 君來まさば、 白銀のみあし われ迎へて、 心のたけを 君にそそがん。 この歌は殊更に、美しいジューリアのために歌はれたものかも知れないし、或ひはさうでないかも知れなかつたが、彼の舞踏の相手はさういふ名であつた。 併し、彼女は確に、そんな意味の含まれてゐることは知らなかつたしるしに、一度も歌手を...
(410字。目安の読了時間:1分) すると老主人は之に故障を申出でて、クリスマス・イーヴにはわが榮(はえ)あるイギリスのものの外はいけないといましめた。 それを聞くと此の若い吟詠詩人は、しばし瞳を上げて記憶を辿るやうな樣子をしてゐたが別の曲を奏で始めた、そして慇懃な魅惑を含んだ姿態で、ヘリックの『ジューリアに贈る小夜曲』を歌ひ出たのであつた。 螢の眼 君もちて、 流るる星の從はば、 ...
(364字。目安の読了時間:1分) 彼は背が高く、すらりとした好男子で、また近年多くのイギリス士官の例に洩れず、色々と細かな身嗜みを〔ヨーロッパ〕大陸で見習つてゐて、フランス語とイタリ語が話せる、風景畫が描ける、歌も相當に歌へる、舞踏となると神技に達してゐると云ふわけであつた。 併し何よりも彼はウォータルーで名譽の負傷をしたのである。 十七歳の少女で、詩や傳奇小説を愛讀してゐるものが、なん...
(447字。目安の読了時間:1分) 若いオックスフォードの大學生は、未婚の叔母の一人を舞踏に誘ひ出したが此のやんちや者は彼女にあれやこれやありつたけの小さな惡戲をしながら、平氣な顏ですましてゐた。 彼は實に冗談が上手で、叔母や從姉妹たちを揶揄(からか)つて苛めては面白がつてゐた。 でも、凡て向う見ずな若者同樣、異性の間ではみんなに好かれた。 尚また一番興味を惹いた一組は若い士官と、老主...
(420字。目安の読了時間:1分) 年寄連中のうちからも加つたりして、老主人までが或相手と組んで幾組かの踊手たちを顏色なからしめた。 老主人自らの言葉によれば、その相手とは殆ど半世紀近くもの間、クリスマスの度ごとに踊つたのだと云ふ。 マースター・サイモンは前の時代と今の時代を繋ぐ連鎖と思はれ、それと共に身についた藝ごとの味ひに少し古臭いところがあつたが、したたかに踊が自慢で、ヒール・アンド...