ブンゴウメール (748字。目安の読了時間:2分) ―― 「ご機嫌よう」 彼女は彼の顔を見るとさっとばかり蒼ざめたが、やがてもう一ぺん、わが眼が信じられないといった風に、恐る恐る彼の方をふり仰ぎ、両手のうちにぎゅっと扇を柄付眼鏡もろとも握りしめた。 てっきりそれは、気を失うまいと自分を相手に闘っているものらしい。 二人とも無言だった。 彼女は坐ったままだったし、彼は彼で、女のうろ...
ブンゴウメール (764字。目安の読了時間:2分) 彼女は三列目に腰をおろしたが、グーロフはその姿を一目みた瞬間ぎゅっと心臓がしめつけられて、現在自分にとって世界じゅうにこれほど近しい、これほど貴い、これほど大切な人はないのだということを、はっきり覚ったのだった。 田舎者の群のなかに紛れ込んでいるこの小さな女、俗っぽい柄付眼鏡かなんかを両手にもてあそんでさっぱり見映えのしないこの女、それが...
ブンゴウメール (693字。目安の読了時間:2分) 『なんの心算か知らんがえらくまあ寝ちまったものさ。 さてこのよる夜中に一体どうしようと言うんだい?』 まるで病院みたいな安物の灰色毛布をかけた寝床の上に坐り込んで、彼はさも口惜しげにわれとわが身をからかうのだった。 ―― 『そうらこれがお待ちかねの犬を連れた奥さんさ。 ……これがお待ちかねのエピソードさ。 ……まあま御緩りとな...
ブンゴウメール (723字。目安の読了時間:2分) いやそれはいずれにせよ、家へあがり込んでどぎまぎさせるのは、あまり気の利いた話ではない。 かと言って手紙を持たせてやれば、良人の手にはいるかも知れず、そうなったら万事休すである。 最上の策は機会を待つことだ。 そこで彼は気ながに通りをぶらぶらしたり柵について歩いてみたりしながら、その機会を待ち受けていた。 見ていると、一人の乞食が門...
ブンゴウメール (713字。目安の読了時間:2分) 子どもたちにも厭々したし、銀行にもうんざりしたし、どこへも行きたくはなし、何の話もしたくなかった。 十二月の休暇になると彼は旅行を思い立って、妻にはある青年の就職の世話をしにペテルブルグへ行って来ると言い置いて、実はS市へ出掛けて行った。 何をしに? 彼は自分でもよく分からなかった。 とにかくアンナ・セルゲーヴナに会って話がしたい、...
ブンゴウメール (703字。目安の読了時間:2分) ―― 「ヂミートリイ、あんたは二枚目なんぞの柄じゃまるでなくってよ」 ある夜ふけのこと、遊び仲間の役人と連れだって医師クラブを出ながら、彼はとうとう我慢がならなくなって口を切った。 ―― 「実はねえ君、ヤールタで僕はうっとりするような美人と交際を結んだんですよ!」 役人は橇に乗りこみ、しばらく走らせていたが、急に振り返りざま彼...
いつもブンゴウメールをご利用いただきありがとうございます。 ブンゴウメール初のビジネス書コラボ『ビジネスモデル2.0図鑑』公式チャネル開設のお知らせです。 \=============================== 『ビジネスモデル2.0図鑑』公式チャネルの配信を6月1日から開始します! \=============================== ブンゴウメール初のビジネス...
ブンゴウメール (798字。目安の読了時間:2分) 彼はいつまでも部屋の中を行きつ戻りつしながら、思い出をたぐったり微笑んだりするのだったが、そのうち思い出はだんだん空想に変わって行き、過去が想像のなかで未来のことと混り合うようになった。 アンナ・セルゲーヴナは夢には現われずに、どこへでもまるで影のように後からついて来て、彼を見まもっていた。 眼をつぶると、彼女の面影がまるで現身のように...
ブンゴウメール (841字。目安の読了時間:2分) …ァの人間だったので、その彼が上天気の凍てのぴりぴりする日にモスクヴァへ舞い戻って来て、毛皮の外套を着込み温かい手袋をはめて*ペトローフカ通りをひとわたりぶらついたり、土曜日の夕ぐれ鐘の音を耳にしたりするが早いか、最近の旅行のことも、行って見た土地土地のことも、すっかり彼には魅力がなくなってしまった。 だんだん彼はモスクヴァ生活につかり込...
ブンゴウメール (787字。目安の読了時間:2分) …想よくもしてやったし、親身にいたわってやりもしたけれど、それにしてもあの女に対するこっちの態度や、ことばの調子や、可愛がりようの中にはやっぱり、まんまと幸運を手に入れた男の、それも相手より二倍ちかくも年上の男のかるい嘲笑いや、がさつな思い上がりが、影のように透けて見えるのをどうしようもなかったのだ。 彼女はいつも彼のことを、親切な、世の...