ブンゴウメール (670字。目安の読了時間:2分) 僕は昔から「人嫌ひ」「交際嫌ひ」で通つて居た。 しかしこれには色々な事情があつたのである。 もちろんその事情の第一番は、僕の孤独癖や独居癖やにもとづいて居り、全く先天的気質の問題だが、他にそれを余儀なくさせるところの、環境的な事情も大いにあつたのである。 元来かうした性癖の発芽は、子供の時の我がまま育ちにあるのだと思ふ。 僕は比較...
ブンゴウメール (578字。目安の読了時間:2分) 昔の人がそんなにも月に心をひかれたのは、彼等の住んでゐる夜の地上が、甚だ閑寂として居たからである。 暗く寂しい夜の曠野に、遠く輝やく灯を見る時ほど、悲しくなつかしい思ひをすることはない。 行灯や蝋燭の微かな灯りが、唯一の照明であつた昔は、平安朝の京都や唐の長安の都でさへ、おそらく今人の想像ができないほど、寂しく真闇なものであつたらう。 ...
ブンゴウメール (626字。目安の読了時間:2分) かつて防空演習のあつた晩、すべての家々の灯火が消されて、東京市中が真の闇になつてゐた時、自分は家路をたどりながら、初めて知つた月光の明るさに驚いた。 そして満月に近い空の月を沁々と眺め入つた。 その時自分は、真に何年ぶりで月を見たといふ思ひがした。 実際自分は田舎で育つた少年の時以来、実に十何年もの久しい間、殆んど全く月を忘れて居た...
ブンゴウメール (672字。目安の読了時間:2分) おそらく彼等は、その恋が到底及ばぬものであり、身分ちがひの果敢ないものであるといふことを、自ら卑下して意識することで、一層哀切にやるせないリリシズムを痛感し、物のあはれの行きつめた悲哀の中に、自らその詩操を培養して居たであらう。 それ故に日本歌史上に於て、月の歌が最も多く詠まれてゐるのは、実に当時の平安朝時代であつた。 特にさうした失恋...
ブンゴウメール (708字。目安の読了時間:2分) そして詩や音楽やの芸術は、かかる原始的な生命の秘密を、経験以前の純粋記憶から表象して、人の本能的なる感性や情緒に訴へるものなのである。 月とその月光とが、古来詩人の心を強く捉へ、他の何物にもまして好個の詩材とされたのは、その夜天の空に輝やく灯火が、人間の向火性を刺戟し、本能的なリリシズムを詩情させたことは疑ひない。 西洋の詩では、月と...
ブンゴウメール (633字。目安の読了時間:2分) 海の魚介類は、漁師の漁る灯火の下に、群をなして集つて来るし、山野に生棲する昆虫類は、人家の灯火や弧灯に向つて、蛾群の羽ばたきを騒擾する。 鹿のやうな獣類でさへも、遠方の灯火に対して、眼に一ぱいの涙をたたへながら、何時迄も長く凝視してゐるといふことである。 思ふに彼等は、夜の灯火といふものに対して、何かの或る神秘的なあこがれ、生命の最も深...
ブンゴウメール (629字。目安の読了時間:2分) 昔は多くの詩人たちが、月を題材にして詩を作つた。 支那では李白や白楽天やが、特に月の詩人として有名だが、日本では西行や芭蕉を初め、もつと多くの詩人等が月を歌つた。 西洋でも、Moonlight の月光を歌つた詩は、東洋に劣らないほど沢山ある。 かうした多くの月の詩篇は、すべて皆その情操に、悲しい音楽を聴く時のやうな、無限のノスタルヂ...
ブンゴウメール (671字。目安の読了時間:2分) つまり通俗の常識で解説すれば、私はいわゆる「狐に化かされた」のであった。 3 私の物語は此所で終る。 だが私の不思議な疑問は、此所から新しく始まって来る。 支那の哲人荘子は、かつて夢に胡蝶となり、醒めて自ら怪しみ言った。 夢の胡蝶が自分であるか、今の自分が自分であるかと。 この一つの古い謎は、千古にわたってだれも解けない。 ...
ブンゴウメール (679字。目安の読了時間:2分) その時もはや、あの不可解な猫の姿は、私の視覚から消えてしまった。 町には何の異常もなく、窓はがらんとして口を開けていた。 往来には何事もなく、退屈の道路が白っちゃけてた。 猫のようなものの姿は、どこにも影さえ見えなかった。 そしてすっかり情態が一変していた。 町には平凡な商家が並び、どこの田舎にも見かけるような、疲れた埃っぽい人た...
ブンゴウメール (692字。目安の読了時間:2分) 所々に塔のような物が見え出して来た。 屋根も異様に細長く、瘠せた鶏の脚みたいに、へんに骨ばって畸形に見えた。 「今だ!」 と恐怖に胸を動悸しながら、思わず私が叫んだ時、或る小さな、黒い、鼠のような動物が、街の真中を走って行った。 私の眼には、それが実によくはっきりと映像された。 何かしら、そこには或る異常な、唐突な、全体の調和を...