ブンゴウメール
(578字。目安の読了時間:2分)
昔の人がそんなにも月に心をひかれたのは、彼等の住んでゐる夜の地上が、甚だ閑寂として居たからである。
暗く寂しい夜の曠野に、遠く輝やく灯を見る時ほど、悲しくなつかしい思ひをすることはない。
行灯や蝋燭の微かな灯りが、唯一の照明であつた昔は、平安朝の京都や唐の長安の都でさへ、おそらく今人の想像ができないほど、寂しく真闇なものであつたらう。
さうした暗い地上に、生魂や物の化と一所に住んでゐた彼等にとつて、月光がどんなに明るく、月がどれほど巨大に見えたかは想像できる。
月天心貧しき町を通りけり
といふ蕪村の句で、月が非常に大きな満月の如く印象されるのは、周囲が貧しい裏町であり、深夜の雨戸を閉めた家から、微かな灯が僅かにもれるばかりの、暗く侘しい裏通と対比するからである。
この句がもし「月天心都大路を通りけり」だつたら、月が非常に小さな物になり、句の印象から消滅してしまふ。
実際に銀座通りを歩いてゐる人々は、空に月があることさへも忘れて居るのだ。
ところが近代では、都会も田舎もおしなべて電光化し、事実上の都大路になつてゐるのだから、彼等の詩人に月が閑却されるのは当然である。
科学は妖怪変化と共に、月の詩情を奪つてしまつた。
ペルシアの拝火教で、人間の霊魂が火から生まれたことを説いてゐるのは、生物の向火性と対照して、興味の深い哲理を持つてゐる。
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