ブンゴウメール (774字。目安の読了時間:2分) グーロフは、自分がモスクヴァの者で、大学は文科を出たけれど現在銀行に勤めていることや、いつぞや民間のオペラで歌の練習生になったこともあるが中途でやめにしたこと、モスクヴァに家作が二軒あること……そんな話をした。 いっぽう女からは、彼女がペテルブルグで生い立ったこと、しかし嫁いだ先はS市で、そこにもう二年も暮していること、ヤールタにはまだひ...
ブンゴウメール (692字。目安の読了時間:2分) 「咬みは致しませんのよ」と彼女は言って、赧くなった。 「骨をやってもいいでしょうか?」そして彼女がうなずくのを見て、彼は愛想よく問いかけた、「ヤールタに見えてから大分におなりですか?」 「五日ほどですの」 「私はまもなく二週間というところまで、どうにかこうにか漕ぎつけましたよ」 二人はしばらく黙っていた。 「日はずんずん経って行...
ブンゴウメール (704字。目安の読了時間:2分) といった事情は、たび重なる経験のおかげで、それも全くもって苦い経験のおかげで、彼はとうの昔に知り抜いていた。 だのにまた胸そそられる女に出くわす段になると、せっかくの経験もどうやら記憶からずり落ちてしまって、ああ生きることだと思い、この世の一切が実にたわいもない、面白可笑しいものに見えて来るのだった。 さて、ある日のこと夕暮近く、彼が...
ブンゴウメール (752字。目安の読了時間:2分) いっぽう彼の方では、心ひそかに妻のことを、浅薄で料簡の狭い野暮な奴だと思って、煙たがって家に居つかなかった。 ほかに女を拵えだしたのももう大分前からのことで、それも相当たび重なっていた。 多分そのせいだったろうが、女のことになるとまず極まって悪く言っていたし、自分のいる席で女の話が出ようものなら、こんなふうに評し去るのが常だった。 ―...
ブンゴウメール (657字。目安の読了時間:2分) 一 海岸通りに新しい顔が現われたという噂であった――犬を連れた奥さんが。 ドミートリイ・ドミートリチ・グーロフは、*ヤールタに来てからもう二週間になり、この土地にも慣れたので、やはりそろそろ新しい顔に興味を持ちだした。 ヴェルネ喫茶店に坐っていると、海岸通りを若い奥さんの通って行くのが見えた。 小柄な薄色髪の婦人で、...
ブンゴウメール (557字。目安の読了時間:2分) 彼は始めて桜の森の満開の下に坐っていました。 いつまでもそこに坐っていることができます。 彼はもう帰るところがないのですから。 桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。 あるいは「孤独」というものであったかも知れません。 なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。 彼自らが孤独自体でありました。 彼は始め...
ブンゴウメール (603字。目安の読了時間:2分) 全身の力をこめて鬼の手をゆるめました。 その手の隙間から首をぬくと、背中をすべって、どさりと鬼は落ちました。 今度は彼が鬼に組みつく番でした。 鬼の首をしめました。 そして彼がふと気付いたとき、彼は全身の力をこめて女の首をしめつけ、そして女はすでに息絶えていました。 彼の目は霞んでいました。 彼はより大きく目を見開くことを試み...
ブンゴウメール (592字。目安の読了時間:2分) 都ではそんなことはなかったからな」 「始めての日はオンブしてお前を走らせたものだったわね」 「ほんとだ。ずいぶん疲れて、目がまわったものさ」 男は桜の森の花ざかりを忘れてはいませんでした。 然し、この幸福な日に、あの森の花ざかりの下が何ほどのものでしょうか。 彼は怖れていませんでした。 そして桜の森が彼の眼前に現れてきました...
ブンゴウメール (637字。目安の読了時間:2分) その訪れは唐突で乱暴で、今のさっき迄の苦しい思いが、もはや捉えがたい彼方へ距てられていました。 彼はこんなにやさしくはなかった昨日までの女のことも忘れました。 今と明日があるだけでした。 二人は直ちに出発しました。 ビッコの女は残すことにしました。 そして出発のとき、女はビッコの女に向って、じき帰ってくるから待っておいで、とひそ...
ブンゴウメール (604字。目安の読了時間:2分) 「だってお前は都でなきゃ住むことができないのだろう。俺は山でなきゃ住んでいられないのだ」 「私はお前と一緒でなきゃ生きていられないのだよ。私の思いがお前には分らないのかねえ」 「でも俺は山でなきゃ住んでいられないのだぜ」 「だから、お前が山へ帰るなら、私も一緒に山へ帰るよ。私はたとえ一日でもお前と離れて生きていられないのだもの」 ...