(621字。目安の読了時間:2分) 黄ばんだ細面にある黒い眼は、きわめて病的な輝きを帯びていたので、彼が男爵の問に対して、世にもたのもしげな調子で、次のように答えた時には、僕は聞いていて、なんだか気味が悪くなったほどだった。 「いや、実に申しぶんなしです。どうも恐れ入ります。非常に工合がいいのです。」 ――十五分ばかりして、僕等が席を立った時、男爵夫人は、二日するとまた木曜日だから、例の...
(581字。目安の読了時間:2分) 僕は引き合されて、ごく慇懃な挨拶を受けた。 一方僕の連れは、この家の心安い友だちの格で、みんなと握手したのである。 僕の身の上について、しばらく問答があった後、みんなはパオロの画が――女の裸体画が出ている展覧会のうわさをはじめた。 「実によく出来ていますな。」と男爵がいった。 「わしはこの間、半時間もあの画の前に立っていましたよ。赤い絨毯の上の肉...
(564字。目安の読了時間:2分) 「失礼ですが、私の友だちを紹介いたします。一緒にABCを習った小学時代の同輩です。」 令嬢は僕にも手を差出した。 柔かな、骨がなさそうに思われる、ひとつも飾りのない手である。 「嬉しゅう存じます――」と、微かなふるえを特有とする暗いまなざしを、僕の上に据えながら、令嬢はいった。 「それに両親も喜ぶでございましょう……おとりつぎいたしたのだとよろしゅ...
(579字。目安の読了時間:2分) 令嬢はすらりとした姿の、しかし年の割には成熟した輪郭を持った人で、きわめて柔かな、ほとんどものうげな身のこなしを見ると、そんなに若い娘さんとはちょっと思えないほどであった。 こめかみを覆いながら、二つの捲毛になって、額まで出ている髪の毛は、つややかな黒で、顔色のほの白さとくっきり映り合っている。 顔にはゆたかな、濡れた唇と分厚な鼻と巴旦杏形の黒い眼と、...
(641字。目安の読了時間:2分) 僕等は実際、その翌日の正午頃、テレエジェン街のある立派な家の二階で、ベルを鳴らしたのである。 ベルのわきには、太い黒い字で、男爵フォン・シュタインという名が書いてあった。 パオロはみちみちずっと興奮しつづけていて、乱暴に近いほど陽気だった。 ところが、今二人で扉の開くのを待っている間に、僕は彼の様子に奇妙な変化を認めた。 僕と並んで立っている彼は...
(581字。目安の読了時間:2分) 男爵というのはもと相場師でね、昔はウィインでおそろしい勢力があって、全皇族と交際したりなんかしていたんだよ。……それから急に衰えちまってね、百万ばかり残して――といううわさだがね――事業から手を引いて、今じゃこの町で、地味だけれど貴族的に暮しているんだ。」 「ユダヤ人かね。」 「男爵はそうじゃあるまい。細君のほうはもしかするとね。でも、僕はみんな実に気持...
(596字。目安の読了時間:2分) 快活にいきいきと、一別以来の生活を語った。 僕と別れてからまもなく、画家になることをやっとのことで両親に許してもらって、九カ月ほど前にアカデミイを終ると、――今しがたは、偶然アカデミイに寄ったのである――しばらく旅で、なかんずくパリで暮して、約五カ月以来このミュンヘンに住みついている……「多分まだずっと長くいるかも知れない――そりゃわからない。あるいは永久...
(614字。目安の読了時間:2分) 中背で、やせぎすで、ゆたかな黒い髪に帽子をあみだにのせて、青筋の浮いている黄ばんだ顔色で、贅沢だけれども自堕落な身なりで――例えばチョッキのボタンが二つ三つ外れている短かい口髭を軽くひねり上げて……といった様子をしながら、持前のうねるような面倒臭そうな足どりで、彼は僕のほうへやって来た。 二人はほぼ同時に気がついた。 そしてほんとうに心からの挨拶を交...
(647字。目安の読了時間:2分) パオロは学校を換えないことになって、ある老教授のところに預けられた。 ところが、この状態も長くはつづかなかった。 パオロがある日両親のあとを追って、カルルスルウエに行ったのには、次の事件が、まあ直接の動機ではなかったにしても、ともかくあずかって力があったのである。 というのは、ある宗教の時間、不意にくだんの教授が、物凄い眼付をして、つかつかと彼のと...
(621字。目安の読了時間:2分) 僕等はまた――二人とも十六だったと思うが――一緒に踊の稽古にも行って、その結果、共々に初恋を経験した。 彼を夢中にさせた小娘は、金髪の快活な子で、彼はその子を、年の割にはいちじるしい、僕には時々ほんとに気味悪く思われたほどの、沈鬱な激情であがめていた。 僕は特に或る舞踏会のことを思い出す。 その少女があるほかの少年に、ほとんど立て続けに、二度もコ...