(582字。目安の読了時間:2分) 白か銭ばたくさん持っちょって、何も買うてやらんげに思うちょるが、宿屋も払うし、薬の問屋へも払うてしまえば、あの白か銭は、のうなってしまうがの、早よ寝て、早よ起きい、朝いなったら、白かまんまいっぱい食べさすッでなア」 座蒲団を二つに折って私の裾にさしあってはいると、父はこう云った。 私は、白かまんまと云う言葉を聞くと、ポロポロと涙があふれた。 「背丈が伸びる...
(667字。目安の読了時間:2分) 母は、私が大きい声で、すらすらと本を読む事が、自慢ででもあるのであろう。 「ふん、そうかや」と、度々優しく返事をした。 「百姓は馬鹿だな、尺取虫に土瓶を引っかけるてかい?」 「尺取虫が木の枝のごつあるからじゃろ」 「どぎゃん虫かなア」 「田舎へ行くとよくある虫じゃ」 「ふん、長いとじゃろ?」 「蚕のごつある」 「お父さん、ほんまに見たとか?」 「ほんまよ」 ...
(541字。目安の読了時間:2分) お父さんな、怒んなさって、風琴ば海さ捨てる云いなはるばい」 「また、何、ぐずっちょるとか!」 父は、豆手帳の背中から鉛筆を抜いて、薬箱の中と照し合せていた。 5 夜になると、夜桜を見る人で山の上は群った蛾(が)のように賑(にぎ)わった。 私達は、駅に近い線路ぎわのはたごに落ちついて、汗ばんだまま腹這っていた。 「こりゃもう、働きどうの多い町らしいぞ、桜を...
(565字。目安の読了時間:2分) 私の丼の中には三角の油揚が這入っていた。 「どうしてお父さんのも、おッ母さんのも、狐(きつね)がはいっとらんと?」 「やかましいか! 子供は黙って食うがまし……」 私は一片の油揚を父の丼の中へ投げ入れてニヤッと笑った。 父は甘美そうにそれを食った。 「珍しかとじゃろな、二三日泊って見たらどうかな」 「初め、癈兵じゃろう云いよったが、風琴を鳴らして、ハイカラじ...
(618字。目安の読了時間:2分) 「ぬくうなった、風がぬるぬるしよる」 「小便がしたか」 「かまうこたなか、そこへせいよ」 桟橋の下にはたくさん藻や塵芥(じんかい)が浮いていた。 その藻や塵芥の下を潜って影のような魚がヒラヒラ動いている。 帰って来た船が鳩(はと)のように胸をふくらませた。 その船の吃水線に潮が盛り上ると、空には薄い月が出た。 「馬の小便のごつある」 「ほんでも、長いこと、き...
(580字。目安の読了時間:2分) その広場を囲んで、露店のうどん屋が鳥のように並んで、仲士達が立ったまま、つるつるとうどんを啜っていた。 露店の硝子箱(ガラスばこ)には、煎餅や、天麩羅がうまそうであった。 私は硝子箱に凭(もた)れて、煎餅と天麩羅をじっと覗(のぞ)いた。 硝子箱の肌には霧がかかっていた。 「どこの子なア、そこへ凭れちゃいけんがのう!」 乳房を出した女が赤ん坊の鼻汁を啜りな...
(586字。目安の読了時間:2分) 「ええ――子宮、血の道には、このオイチニイの薬ほど効くものはござりませぬ」 私は材木の上に群れた子供達を押しのけると、風琴を引き寄せて肩に掛けた。 「何しよっと! わしがとじゃけに……」 子供達は、断髪にしている私の男の子のような姿を見ると、 「散剪り、散剪り、男おなごやアい!」と囃(はや)したてた。 父は古ぼけた軍人帽子を、ちょいとなおして、振りかえっ...
(608字。目安の読了時間:2分) 町の屋根の上には、天幕がゆれていて、桜の簪(かんざし)を差した娘達がゾロゾロ歩いていた。 「ええ――ご当地へ参りましたのは初めてでござりますが、当商会はビンツケをもって蟇(がま)の膏薬かなんぞのようなまやかしものはお売り致しませぬ。ええ――おそれおおくも、××宮様お買い上げの光栄を有しますところの、当商会の薬品は、そこにもある、ここにもあると云う風なものとは違...
(599字。目安の読了時間:2分) 遠いとこさ、一人で行ってしまいたか」 「お前は、めんめさえよければ、ええとじゃけに、バナナも食うつろが、蓮根も食いよって、富限者の子供でも、そげんな食わんぞな!」 「富限者の子供は、いつも甘美かもの食いよっとじゃもの、あぎゃん腐ったバナナば、恩にきせよる……」 「この子は、嫁様にもなる年頃で、食うこツばかり云いよる」 「ぴんたば殴るけん、ほら、鼻血が出つろう...
(578字。目安の読了時間:2分) 「汽車へ乗ったら、またよかもの食わしてやるけに……」 「いんにゃ、章魚が食いたか!」 「さっち、そぎゃん、困らせよっとか?」 母は房のついた縞(しま)の財布を出して私の鼻の上で振って見せた。 「ほら、これでも得心のいかぬか!」 薄い母の掌に、緑の粉を吹いた大きい弐銭銅貨が二三枚こぼれた。 「白か銭は無かろうが? 白かとがないと、章魚の足は買えんとぞ」 「あ...