(497字。目安の読了時間:1分) ぶるぶると震えてしかたがない唇を、噛(か)みしめても噛みしめても泣声が出て、眼からは涙がむやみに流れて来るのです。 もう先生に抱かれたまま死んでしまいたいような心持ちになってしまいました。 「あなたはもう泣くんじゃない。よく解ったらそれでいいから泣くのをやめましょう、ね。次ぎの時間には教場に出ないでもよろしいから、私のこのお部屋に入らっしゃい。静かにして...
(468字。目安の読了時間:1分) と聞かれました。 本当なんだけれども、僕がそんないやな奴だということをどうしても僕の好きな先生に知られるのがつらかったのです。 だから僕は答える代りに本当に泣き出してしまいました。 先生は暫く僕を見つめていましたが、やがて生徒達に向って静かに「もういってもようございます。」といって、みんなをかえしてしまわれました。 生徒達は少し物足らなそうにどやど...
(463字。目安の読了時間:1分) 僕は出来るだけ行くまいとしたけれどもとうとう力まかせに引きずられて階子段を登らせられてしまいました。 そこに僕の好きな受持ちの先生の部屋があるのです。 やがてその部屋の戸をジムがノックしました。 ノックするとは這入ってもいいかと戸をたたくことなのです。 中からはやさしく「お這入り」という先生の声が聞えました。 僕はその部屋に這入る時ほどいやだと思...
(541字。目安の読了時間:2分) すると誰だったかそこに立っていた一人がいきなり僕のポッケットに手をさし込もうとしました。 僕は一生懸命にそうはさせまいとしましたけれども、多勢に無勢で迚(とて)も叶(かな)いません。 僕のポッケットの中からは、見る見るマーブル球(今のビー球のことです)や鉛のメンコなどと一緒に二つの絵具のかたまりが掴み出されてしまいました。 「それ見ろ」といわんばかりの...
(474字。目安の読了時間:1分) 僕の胸は宿題をなまけたのに先生に名を指された時のように、思わずどきんと震えはじめました。 けれども僕は出来るだけ知らない振りをしていなければならないと思って、わざと平気な顔をしたつもりで、仕方なしに運動場の隅に連れて行かれました。 「君はジムの絵具を持っているだろう。ここに出し給え。」 そういってその生徒は僕の前に大きく拡げた手をつき出しました。 ...
(469字。目安の読了時間:1分) 僕達は若い女の先生に連れられて教場に這入り銘々の席に坐りました。 僕はジムがどんな顔をしているか見たくってたまらなかったけれども、どうしてもそっちの方をふり向くことができませんでした。 でも僕のしたことを誰も気のついた様子がないので、気味が悪いような、安心したような心持ちでいました。 僕の大好きな若い女の先生の仰ることなんかは耳に這入りは這入ってもな...
(534字。目安の読了時間:2分) そしてその箱の中には小さい墨のような形をした藍や洋紅の絵具が……僕は顔が赤くなったような気がして、思わずそっぽを向いてしまうのです。 けれどもすぐ又横眼でジムの卓の方を見ないではいられませんでした。 胸のところがどきどきとして苦しい程でした。 じっと坐っていながら夢で鬼にでも追いかけられた時のように気ばかりせかせかしていました。 教場に這入る鐘がか...
(470字。目安の読了時間:1分) 僕はいやな気持ちになりました。 けれどもジムが僕を疑っているように見えれば見えるほど、僕はその絵具がほしくてならなくなるのです。 二 僕はかわいい顔はしていたかも知れないが体も心も弱い子でした。 その上臆病者で、言いたいことも言わずにすますような質でした。 だからあんまり人からは、かわいがられなかったし、友達もない方でした。 昼御飯がすむと他の...
(489字。目安の読了時間:1分) 今ではいつの頃だったか覚えてはいませんが秋だったのでしょう。 葡萄(ぶどう)の実が熟していたのですから。 天気は冬が来る前の秋によくあるように空の奥の奥まで見すかされそうに霽(は)れわたった日でした。 僕達は先生と一緒に弁当をたべましたが、その楽しみな弁当の最中でも僕の心はなんだか落着かないで、その日の空とはうらはらに暗かったのです。 僕は自分一人...
(476字。目安の読了時間:1分) その友達は矢張西洋人で、しかも僕より二つ位齢が上でしたから、身長は見上げるように大きい子でした。 ジムというその子の持っている絵具は舶来の上等のもので、軽い木の箱の中に、十二種の絵具が小さな墨のように四角な形にかためられて、二列にならんでいました。 どの色も美しかったが、とりわけて藍と洋紅とは喫驚するほど美しいものでした。 ジムは僕より身長が高いくせに...