(731字。目安の読了時間:2分) 夜になって、四隣が静まると、母は帯を締め直して、鮫鞘(さめざ や)の短刀を帯の間へ差して、子供を細帯で背中へ背負って、 そっと潜りから出て行く。 母はいつでも草履を穿いていた。 子供はこの草履の音を聞きながら母の背中で寝てしまう事もあった 。 土塀の続いている屋敷町を西へ下って、だらだら坂を降り尽くすと 、大きな銀杏がある。 こ...
(652字。目安の読了時間:2分) 自分はしばらく立ってこの金魚売を眺めていた。 けれども自分が眺めている間、金魚売はちっとも動かなかった。 第九夜 世の中が何となくざわつき始めた。 今にも戦争が起りそうに見える。 焼け出された裸馬が、夜昼となく、屋敷の周囲を暴れ廻(まわ)る と、それを夜昼となく足軽共が犇(ひしめ)きながら追かけている ような心持がする。 そ...
(666字。目安の読了時間:2分) 粟餅屋は子供の時に見たばかりだから、ちょっと様子が見たい。 けれども粟餅屋はけっして鏡の中に出て来ない。 ただ餅を搗く音だけする。 自分はあるたけの視力で鏡の角を覗(のぞ)き込むようにして見た 。 すると帳場格子のうちに、いつの間にか一人の女が坐っている。 色の浅黒い眉毛の濃い大柄な女で、髪を銀杏返しに結って、黒繻子 の半襟の...
(703字。目安の読了時間:2分) それで御辞儀をして、どうも何とかですと云ったが、相手はどうし ても鏡の中へ出て来ない。 すると白い着物を着た大きな男が、自分の後ろへ来て、鋏(はさみ )と櫛(くし)を持って自分の頭を眺め出した。 自分は薄い髭(ひげ)を捩(ひね)って、どうだろう物になるだろ うかと尋ねた。 白い男は、何にも云わずに、手に持った琥珀色の櫛(くし)で軽く ...
(643字。目安の読了時間:2分) 第八夜 床屋の敷居を跨(また)いだら、白い着物を着てかたまっていた三 四人が、一度にいらっしゃいと云った。 真中に立って見廻すと、四角な部屋である。 窓が二方に開いて、残る二方に鏡が懸っている。 鏡の数を勘定したら六つあった。 自分はその一つの前へ来て腰をおろした。 すると御尻がぶくりと云った。 よほど坐り心地が...
(722字。目安の読了時間:2分) するとその異人が金牛宮の頂にある七星の話をして聞かせた。 そうして星も海もみんな神の作ったものだと云った。 最後に自分に神を信仰するかと尋ねた。 自分は空を見て黙っていた。 或時サローンに這入ったら派手な衣裳を着た若い女が向うむきにな って、洋琴を弾いていた。 その傍に背の高い立派な男が立って、唱歌を唄っている。 その口が...
(669字。目安の読了時間:2分) 「落ちて行く日を追かけるようだから」 船の男はからからと笑った。 そうして向うの方へ行ってしまった。 「西へ行く日の、果は東か。それは本真か。東出る日の、御里は西 か。それも本真か。身は波の上。枕。流せ流せ」と囃(はや) している。 舳(へさき)へ行って見たら、水夫が大勢寄って、太い帆綱を手繰 っていた。 自分は大変心細く...
(727字。目安の読了時間:2分) 道具箱から鑿(のみ)と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せん だっての暴風で倒れた樫(かし)を、薪にするつもりで、木挽に挽 (ひ)かせた手頃な奴が、たくさん積んであった。 自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸に して、仁王は見当らなかった。 その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。 三番目のにも仁王はいな...
(679字。目安の読了時間:2分) 天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」 と云って賞め出した。 自分はこの言葉を面白いと思った。 それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、 「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と 云った。 運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪(たて )に返すや否や斜すに、上か...
(671字。目安の読了時間:2分) 辻待をして退屈だから立っているに相違ない。 「大きなもんだなあ」と云っている。 「人間を拵(こしら)えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも 云っている。 そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえ そうかね。私ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云 った男がある。 「どうも強そうですね。な...