(363字。目安の読了時間:1分) しかしそれはうそである。 よしや自分が一人者であったとしても、どうも喜助のような心持ちにはなられそうにない。 この根底はもっと深いところにあるようだと、庄兵衛は思った。 庄兵衛はただ漠然と、人の一生というような事を思ってみた。 人は身に病があると、この病がなかったらと思う。 その日その日の食がないと、食ってゆかれたらと思う。 万一の時に備えるた...
(335字。目安の読了時間:1分) 自分の扶持米で立ててゆく暮らしは、おりおり足らぬことがあるにしても、たいてい出納が合っている。 手いっぱいの生活である。 しかるにそこに満足を覚えたことはほとんどない。 常は幸いとも不幸とも感ぜずに過ごしている。 しかし心の奥には、こうして暮らしていて、ふいとお役が御免になったらどうしよう、大病にでもなったらどうしようという疑懼が潜んでいて、おりおり...
(379字。目安の読了時間:1分) さて桁を違えて考えてみれば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでいるのに無理はない。 その心持ちはこっちから察してやることができる。 しかしいかに桁を違えて考えてみても、不思議なのは喜助の欲のないこと、足ることを知っていることである。 喜助は世間で仕事を見つけるのに苦しんだ。 それを見つけさえすれば、骨を惜しまずに働いて、ようよう口を糊...
(445字。目安の読了時間:1分) 庄兵衛は五節句だと言っては、里方から物をもらい、子供の七五三の祝いだと言っては、里方から子供に衣類をもらうのでさえ、心苦しく思っているのだから、暮らしの穴をうめてもらったのに気がついては、いい顔はしない。 格別平和を破るような事のない羽田の家に、おりおり波風の起こるのは、これが原因である。 庄兵衛は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べ...
(399字。目安の読了時間:1分) 平生人には吝嗇(りんしょく)と言われるほどの、倹約な生活をしていて、衣類は自分が役目のために着るもののほか、寝巻しかこしらえぬくらいにしている。 しかし不幸な事には、妻をいい身代の商人の家から迎えた。 そこで女房は夫のもらう扶持米で暮らしを立ててゆこうとする善意はあるが、ゆたかな家にかわいがられて育った癖があるので、夫が満足するほど手元を引き締めて暮らし...
(339字。目安の読了時間:1分) お足を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが始めでございます。島へ行ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の本手にしようと楽しんでおります。」こう言って、喜助は口をつぐんだ。 庄兵衛は「うん、そうかい」とは言ったが、聞く事ごとにあまり意表に出たので、これもしばらく何も言うことがで...
(339字。目安の読了時間:1分) お足を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが始めでございます。島へ行ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の本手にしようと楽しんでおります。」こう言って、喜助は口をつぐんだ。 庄兵衛は「うん、そうかい」とは言ったが、聞く事ごとにあまり意表に出たので、これもしばらく何も言うことがで...
(426字。目安の読了時間:1分) 「お恥ずかしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文というお足を、こうしてふところに入れて持っていたことはございませぬ。どこかで仕事に取りつきたいと思って、仕事を尋ねて歩きまして、それが見つかり次第、骨を惜しまずに働きました。そしてもらった銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買って食べられる時は、わたく...
(348字。目安の読了時間:1分) そのいろとおっしゃる所に落ち着いていることができますのが、まず何よりもありがたい事でございます。それにわたくしはこんなにかよわいからだではございますが、ついぞ病気をいたしたことはございませんから、島へ行ってから、どんなつらい仕事をしたって、からだを痛めるようなことはあるまいと存じます。それからこん度島へおやりくださるにつきまして、二百文の鳥目をいただきました...
(382字。目安の読了時間:1分) いったいお前はどう思っているのだい。」 喜助はにっこり笑った。 「御親切におっしゃってくだすって、ありがとうございます。なるほど島へゆくということは、ほかの人には悲しい事でございましょう。その心持ちはわたくしにも思いやってみることができます。しかしそれは世間でらくをしていた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これま...