(1413字。目安の読了時間:3分) 「トックはあなたをうらやんでいたでしょう。いや、僕もうらやん でいます。ラップ君などは年も若いし、……」 「僕も嘴(くちばし)さえちゃんとしていればあるいは楽天的だっ たかもしれません。」 長老は僕らにこう言われると、もう一度深い息をもらしました。 しかもその目は涙ぐんだまま、じっと黒いヴェヌスを見つめている のです。 「わたしも実は、―...
(1383字。目安の読了時間:3分) 轢死する人足の心もちをはっきり知っていた詩人です。しかしそれ以上の説明はあなたには不必要に違いありません。では五番目の龕の中をごらんください。――」 「これはワグネルではありませんか?」 「そうです。国王の友だちだった革命家です。聖徒ワグネルは晩年には食前の祈祷さえしていました。しかしもちろん基督教よりも生活教の信徒のひとりだったのです。ワグネルの残した手...
(1373字。目安の読了時間:3分) 「ついてはどうかこの方の御案内を願いたいと思うのですが。」 長老は大様に微笑しながら、まず僕に挨拶をし、静かに正面の祭壇 を指さしました。 「御案内と申しても、何もお役に立つことはできません。我々信徒 の礼拝するのは正面の祭壇にある『生命の樹』です。『生命の樹』 にはごらんのとおり、金と緑との果がなっています。あの金の果を 『善の果』と言...
(1376字。目安の読了時間:3分) 「我々河童はなんと言っても、河童の生活をまっとうするためには 、……」 マッグは多少はずかしそうにこう小声でつけ加えました。 「とにかく我々河童以外の何ものかの力を信ずることですね。」 一四 僕に宗教というものを思い出させたのはこういうマッグの言葉です 。 僕はもちろん物質主義者ですから、真面目に宗教を考えたことは一 度も...
(1402字。目安の読了時間:3分) クラバックはこういう光景を見ると、しばらく戸口にたたずんでい ました。 が、僕らの前へ歩み寄ると、怒鳴りつけるようにマッグに話しかけ ました。 「それはトックの遺言状ですか?」 「いや、最後に書いていた詩です。」 「詩?」 やはり少しも騒がないマッグは髪を逆立てたクラバックにトックの 詩稿を渡しました。 クラバックはあたりには...
(1423字。目安の読了時間:3分) 「わたしはこの間もある社会主義者に『貴様は盗人だ』と言われた ために心臓痲痺を[#「痲痺を」は底本では「痳痺を」] 起こしかかったものです。」 「それは案外多いようですね。わたしの知っていたある弁護士など はやはりそのために死んでしまったのですからね。」 僕はこう口を入れた河童、――哲学者のマッグをふりかえりました 。 マッグはやはりいつも...
(1384字。目安の読了時間:3分) 「しかし僕の万年筆を盗んだのは……」 「子どもの玩具にするためだったのでしょう。けれどもその子ども は死んでいるのです。もし何か御不審だったら、 刑法千二百八十五条をお調べなさい。」 巡査はこう言いすてたなり、さっさとどこかへ行ってしまいました 。 僕はしかたがありませんから、「刑法千二百八十五条」を口の中に 繰り返し、マッグの家へ急いでゆきまし...
(1405字。目安の読了時間:3分) × 成すことは成し得ることであり、成し得ることは成すことである。 畢竟(ひっきょう)我々の生活はこういう循環論法を脱することは できない。 ――すなわち不合理に終始している。 × ボオドレエルは白痴になった後、彼の人生観をたった一語に、―― 女陰の一語に表白した。 しかし彼自身を語るものは必ずしも...
(1364字。目安の読了時間:3分) のみならず何か疑わしそうに僕らの顔を見比べながら、こんなこと さえ言い出すのです。 「僕は決して無政府主義者ではないよ。それだけはきっと忘れずに いてくれたまえ。――ではさようなら。チャックなどはまっぴらご めんだ。」 僕らはぼんやりたたずんだまま、トックの後ろ姿を見送っていまし た。 僕らは――いや、「僕ら」ではありません。 学...
(1372字。目安の読了時間:3分) 「では何を恐れているのだ?」 「何か正体の知れないものを、――言わばロックを支配している星 を。」 「どうも僕には腑(ふ)に落ちないがね。」 「ではこう言えばわかるだろう。ロックは僕の影響を受けない。が 、僕はいつの間にかロックの影響を受けてしまうのだ。」 「それは君の感受性の……。」 「まあ、聞きたまえ。感受性などの問題ではない。ロックはいつも...