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そしてはっきりした声で 「それはお前の考えちがいですよ、あんないやらしい諍(いさか)いはわたしだちは今日はじめてしたんですよ、それをお前が見たことがあるなんてことはありません。」 「いえ、いえ、わたしずっと古くに、そう、まだ何んだか知らないときに見たことがありますの。」 母親は黙って娘のくちをふさごうとした。 娘はその手を払い退けようとあせりながら、指の間から漏れたこえを出した。 「わたしは怖い――何んだか一杯にいろいろなものが見えてくるんですもの。」 「何が……。」 「あんなに怖い眼ばかりが見えてくるんです。」 母親は狼狽(あわ)てて娘の耳もとでささやいた。 「お前はつまらないことを考え出さないでおくれ、此処まで来て母さまの気を狂わさないでおくれ。」 そういうと母親は、娘を抱いたまま啜(すす)り泣きをはじめた。 かれらは岩かげに動かずにいる間に、暮色はこの一帯をすこしずつ飴色にぼかしはじめた。 「お父さまは?」 娘は岩かげから出てくると、母親にそう言いかけ、渚の方へ目をやると、抱き膝をした眠元朗はすこし仰向きに顔を湖づらへ向けて坐っていた。 ――桃花村はかすんで見えなかった。 が、なにか竹筒でも吹くような美しい楽の音いろが湖の上の湿りを亘(わた)って、娘と母親の耳をかすめた。 「お呼びしましょうか。」 母親は娘を手でもって、静かにするように止めた。 「暗くなったらおかえりでしょうから……。」 二人は肩をならべ歩き出したときに、眠元朗も立ちあがった。
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