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2020-10-30

出世(15/16)

(614字。目安の読了時間:2分)

二年前までは、ニコニコ絣を着て、穴のあいたセルの袴を着け、ニッケルの弁当箱を包んで毎日のように通っていた自分が、今では高貴織の揃いか何かを着て、この頃新調したラクダの外套を着て、金縁の眼鏡をかけて、一個の紳士といったようなものになって下足を預ける。 自分の顔を知っているかも知れないあの大男は、一体どんな気持ちで自分の下駄を預かるだろう。 あの尻切れ草履を預けて、下足札を貰えなかった自分と、今の自分とは夢のようにかけはなれている。 あの草履の代りに、柾目の正しく通った下駄を預けることができるが、預ける人はやっぱり同じ大男の爺だ。 そう思うと、譲吉はあの男に、心からすまないように思われた。 どうか、自分を忘れてしまってくれ、自分がすまなく思っているような気持が、先方の胸に起らないでくれと譲吉は願った。  そんなことを思いながら、いつの間にか、美術学校に添うて、図書館の白い建物の前に来た。 左手に婦人閲覧室のできているのが目新しいだけで、門の石柱も玄関の様子も、閲覧券売場の様子も少しも変っていなかった。 彼は閲覧券売場の窓口に近づいて、十銭札を出しながら、 「特別一枚!」と、いった。 すると、思いがけなく、 「やあ、長い間、来ませんでしたね」と、中から挨拶した。 譲吉はおどろいて、相手を凝視した。 それはまぎれもなくあの爺だった。 「ああ、君か!」と、譲吉は少しあわてて頓狂な声を出した。

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