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その頃のみじめな自分のことを考えると、現在の自分の境遇が別人のように幸福に思われた。 月々貰っていた五円の小遣いから、毎日の電車賃と、閲覧券の費用とを引いた残りで、時々食っていた図書館の中の売店の六銭のカツレツや三銭のさつま汁のことまで、頭の中に浮んだ。 あの慎ましかった自分の心持を思うと、その頃の自分が、いとしく思わずにはおられなかった。 昼でも蝙蝠(こうもり)が出そうな暗い食堂や、取りつく島もないように、冷淡に真面目に見える閲覧室の構造や、司書係たちのセピア色の事務服などが頭に浮んだ。 その人たちの顔も、たいていは空で思い浮べることがあった。 「ああそうそう、あの下足番もいるなあ」と思った。 あの下足番の爺(おやじ)、あいつのことは、時々思い出しておった、と思った。 それは、譲吉が高等学校にいた頃から、あの暗い地下室に頑張っている爺だった。 上野の図書館へ行ったものが誰も知っているように、正面入口に面して、右へ階段を下りると、そこに乾燥床があって、そこから地下室の下足に、入るようになっている。 その入口には昼でもガスが灯っている。 そのガスの灯を潜るようにして入ると、そこに薄暗いしかも広闊な下足があった。 譲吉はそこに働いている二人の下足番を知っていた。 ことに譲吉の頭にはっきりと残っているのは、大男の方であった。 六尺に近い大男で、眉毛の太い一癖あるような面構えであったが、もう六十に手が届いていたろう。
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