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賑やかな商店の多い小路で突きあたりに印形屋の看板の見える街、―――どう考えて見ても、私は今迄通ったことのない往来の一つに違いないと思った。 子供時代に経験したような謎の世界の感じに、再び私は誘われた。 「あなた、あの看板の字が読めましたか。」 「いや読めなかった。一体此処は何処なのだか私にはまるで判らない。私はお前の生活に就いては三年前の太平洋の波の上の事ばかりしか知らないのだ。私はお前に誘惑されて、何だか遠い海の向うの、幻の国へ伴れて来られたように思われる。」 私がこう答えると、女はしみじみとした悲しい声で、こんな事を云った。 「後生だからいつまでもそう云う気持で居て下さい。幻の国に住む、夢の中の女だと思って居て下さい。もう二度と再び、今夜のような我が儘を云わないで下さい。」 女の眼からは、涙が流れて居るらしかった。 その後暫く、私は、あの晩女に見せられた不思議な街の光景を忘れることが出来なかった。 燈火のかんかんともっている賑やかな狭い小路の突き当りに見えた印形屋の看板が、頭にはッきりと印象されて居た。 何とかして、あの町の在りかを捜し出そうと苦心した揚句、私は漸く一策を案じ出した。
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