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浅草橋と和泉橋は幾度も渡って置きながら、その間にある左衛門橋を渡ったことがない。 二長町の市村座へ行くのには、いつも電車通りからそばやの角を右へ曲ったが、あの芝居の前を真っ直ぐに柳盛座の方へ出る二三町ばかりの地面は、一度も蹈んだ覚えはなかった。 昔の永代橋の右岸の袂(たもと)から、左の方の河岸はどんな工合になって居たか、どうも好く判らなかった。 その外八丁堀、越前堀、三味線堀、山谷堀の界隈には、まだまだ知らない所が沢山あるらしかった。 松葉町のお寺の近傍は、そのうちでも一番奇妙な町であった。 六区と吉原を鼻先に控えてちょいと横丁を一つ曲った所に、淋(さび)しい、廃れたような区域を作っているのが非常に私の気に入って了った。 今迄自分の無二の親友であった「派手な贅沢なそうして平凡な東京」と云う奴を置いてき堀にして、静かにその騒擾を傍観しながら、こっそり身を隠して居られるのが、愉快でならなかった。 隠遁をした目的は、別段勉強をする為めではない。 その頃私の神経は、刃の擦り切れたやすりのように、鋭敏な角々がすっかり鈍って、余程色彩の濃い、あくどい物に出逢わなければ、何の感興も湧かなかった。 微細な感受性の働きを要求する一流の芸術だとか、一流の料理だとかを翫味するのが、不可能になっていた。
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