ブンゴウメール公式ブログ

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檸檬(19/23)

(274字。目安の読了時間:1分) しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやってみ…

檸檬(18/23)

(285字。目安の読了時間:1分) 平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。「今日は一つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げて…

檸檬(17/23)

(260字。目安の読了時間:1分) 汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、 ――つまりはこの重さなんだな。―― その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての…

檸檬(16/23)

(329字。目安の読了時間:1分) そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。…… 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚…

檸檬(15/23)

(297字。目安の読了時間:1分) 事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。 私は何…

檸檬(14/23)

(269字。目安の読了時間:1分) 私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛(ゆる)んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる――あ…

檸檬(13/23)

(241字。目安の読了時間:1分) というのはその店には珍しい檸檬(れもん)が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。い…

檸檬(12/23)

(352字。目安の読了時間:1分) もう一つはその家の打ち出した廂(ひさし)なのだが、その廂が眼深に冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ…

檸檬(11/23)

(249字。目安の読了時間:1分) それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのが瞭然しない。しかしその…

檸檬(10/23)

(287字。目安の読了時間:1分) 何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど…

檸檬(9/23)

(327字。目安の読了時間:1分) そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留まったり、乾物屋の乾蝦や棒鱈や湯葉を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下り、そこの果物屋で足を留めた。ここでちょっとその果物屋を紹介…

檸檬(8/23)

(297字。目安の読了時間:1分) しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を…

檸檬(7/23)

(269字。目安の読了時間:1分) 美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚(こ)びて来るもの。――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。 生活がまだ蝕(むしば)まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオードコ…

檸檬(6/23)

(273字。目安の読了時間:1分) あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ち魄(ぶ)れた私に蘇(よみが)えってくる故だろうか、まったくあの味に…

檸檬(5/23)

(262字。目安の読了時間:1分) 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ…

檸檬(4/23)

(274字。目安の読了時間:1分) 私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊(のり)のよくきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になり…

檸檬(4/23)

(274字。目安の読了時間:1分) 私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊(のり)のよくきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になり…

檸檬(3/23)

(242字。目安の読了時間:1分) 雨や風が蝕(むしば)んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いて…

檸檬(2/23)

(351字。目安の読了時間:1分) 蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。 何故だかその頃私は見すぼらしくて美…

檸檬(1/23)

(279字。目安の読了時間:1分) えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけな…

黒猫(30/30)

(330字。目安の読了時間:1分) 次の瞬間には、幾本かの逞しい腕が壁をせっせとくずしていた。壁はそっくり落ちた。もうひどく腐爛して血魂が固まりついている死骸が、そこにいた人々の眼前にすっくと立った。その頭の上に、赤い口を大きくあけ、爛々たる片…

黒猫(29/30)

(379字。目安の読了時間:1分) だが、神よ、魔王の牙より私を護りまた救いたまえ! 私の打った音の反響が鎮まるか鎮まらぬかに、その墓のなかから一つの声が私に答えたのであった! ――初めは、子供の啜り泣きのように、なにかで包まれたような、きれぎれな…

黒猫(28/30)

(394字。目安の読了時間:1分) 私は、凱歌のつもりでたった一言でも言ってやり、また自分の潔白を彼らに確かな上にも確かにしてやりたくてたまらなかった。「皆さん」と、とうとう私は、一行が階投をのぼりかけたときに、言った。「お疑いが晴れたことをわ…

黒猫(27/30)

(373字。目安の読了時間:1分) 殺人をしてから四日目に、まったく思いがけなく、一隊の警官が家へやって来て、ふたたび屋内を厳重に調べにかかった。けれども、自分の隠匿の場所はわかるはずがないと思って、私はちっともどぎまぎしなかった。警官は私に彼…

黒猫(26/30)

(465字。目安の読了時間:1分) その厭でたまらない生きものがいなくなったために私の胸に生じた、深い、この上なく幸福な、安堵の感じは、記述することも、想像することもできないくらいである。猫はその夜じゅう姿をあらわさなかった。――で、そのために、…

黒猫(25/30)

(367字。目安の読了時間:1分) 壁には手を加えたような様子が少しも見えなかった。床の上の屑はごく注意して拾い上げた。私は得意になってあたりを見まわして、こう独言を言った。――「さあ、これで少なくとも今度だけは己の骨折りも無駄じゃなかったぞ」 …

黒猫(24/30)

(376字。目安の読了時間:1分) その上に、一方の壁には、穴蔵の他のところと同じようにしてある、見せかけだけの煙突か暖炉のためにできた、突き出た一カ所があった。ここの煉瓦を取りのけて、死骸を押しこみ、誰の目にもなに一つ怪しいことの見つからない…

黒猫(24/30)

(376字。目安の読了時間:1分) その上に、一方の壁には、穴蔵の他のところと同じようにしてある、見せかけだけの煙突か暖炉のためにできた、突き出た一カ所があった。ここの煉瓦を取りのけて、死骸を押しこみ、誰の目にもなに一つ怪しいことの見つからない…

黒猫(23/30)

(405字。目安の読了時間:1分) いろいろの計画が心に浮んだ。あるときは死骸を細かく切って火で焼いてしまおうと考えた。またあるときには穴蔵の床にそれを埋める穴を掘ろうと決心した。さらにまた、庭の井戸のなかへ投げこもうかとも――商品のように箱のな…

黒猫(23/30)

(405字。目安の読了時間:1分) いろいろの計画が心に浮んだ。あるときは死骸を細かく切って火で焼いてしまおうと考えた。またあるときには穴蔵の床にそれを埋める穴を掘ろうと決心した。さらにまた、庭の井戸のなかへ投げこもうかとも――商品のように箱のな…